• 8 アジア・歴史・未来予測 11冊

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    1『ひとはなぜ戦争をするのか』アルバート・アインシュタイン+ジグムント・フロイト=著

    2『世界を変えた14の密約』ジャック・ペレッティ=著

    3『世界史を変えた詐欺師たち』東谷暁=著

    4『3つの原理』ローレンス・トーブ=著

    5『人生の旋律』神田昌典=著

    6『100歳の台湾人革命家・史明 自伝』史明=著

    7『中国人と日本人』邱永漢=著

    8『日本人のための憲法原論』小室直樹=著

    9『人間狩り』グレゴワール・シャマユー=著

    10『匪賊の社会史』エリック・ホブズボーム=著

    11『呪われた部分 』ジョルジュ・バタイユ=著

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    1『ひとはなぜ戦争をするのか』

    アルバート・アインシュタイン+ジグムント・フロイト=著

    (講談社)

     

    「人間の欲動には二種類ある」

     

    「破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします」

     

    「エロス的欲動が"生への欲動"をあらわすのなら、破壊欲動は"死の欲動"と呼ぶことができます」

     

    「"死の欲動"が外の対象に向けられると、"破壊欲動"になるのです」

     

    「生命体は異質なものを外へ排除し、破壊することで自分を守っていきますが、破壊欲動の一部は生命体へ内面化されます。精神分析学者たちはこの破壊欲動の内面化から、たくさんの正常な現象と病理学的な現象を説明しようとしました」

     

    「例えば、文化が発展していくと、人類が消滅する危険性があります。なぜなら、文化の発展のために、人間の性的な機能がさまざまな形で損なわれてきているからです」

     

    「今日ですら、文化の洗礼を受けていない人種、文化の発展に取り残された社会階層の人たちが急激に人口を増加させているのに対し、文化を発展させた人々は子どもを産まなくなってきています。こうした文化の発展はある種の動物の家畜化に喩えられるかもしれません。文化が発展していけば、肉体レベルでの変化が引き起こされると思われるのです」

     

    「このように、私たちが追い求めるもの--例えば、道徳や美意識にまつわるもの--が変化してきたわけですが、この変化を引き起こしたものは究極的には心と体の全体の変化なのです」

     

    「心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かって行くのです」

     

    「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」

     

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    2『世界を変えた14の密約』

    ジャック・ペレッティ=著

    (文藝春秋)

     

    「国民全員を薬漬けにする」

     

    「国民全員を"患者"にして儲けたい製薬業界。1980年、ファイザーの雇われ弁護士事務所がある法案を提出。政府が国民を製薬業界に売り渡した瞬間だった」

     

    「うつ、肥満、認知症というビッグスリー」

     

    「すべての人を患者にし、薬をチューインガムのような存在にする」

     

    「うつを憧れの対象にする」

     

    「"手のかかる子"はADHDとして薬漬けに」

     

    「アメリカでは4歳から17歳までの子供の11パーセントにあたる600万人異常がADHDと診断されている。この数字は10年で倍になり、毎年増加している。この年齢の幅に注目してほしい。4歳から17歳だ。実は、4歳が一番下ではない。2歳児や3歳児も普通にアデラールやビバンセといったADHD薬が処方されている」

     

    「子供たちはどんなに幼くても病気として診断され、薬を与えられ、学校や家庭で周囲に合わせることが普通とされる。抗うつ剤が、貧困という根本的な経済構造を支えているように、リタリンやアデラールは"手のかかる"子供を沈静化し、現代の核家族の生き方を支えている」

     

    「5歳児を薬漬けにしてiPadかXboxの前に座らせておいて、長時間いくつもの仕事をかけもちし、低所得ながら家庭を支えていかなければならない親たちは、薬がもたらしてくれる型どおりの生活を受け入れる。それは親たちのためでもあり、子供のためでもある」

     

    「どんな経緯で診断を受けたんですか?"わたしたちは問題だと思わなかったんですけど、学校の先生がADHDだと言うので。だから診断を受けたんです」。その前には問題はなかった?"ありませんでした"。息子さんのようなお子さんはクラスにどのくらいいます?"3割くらいはADHDです"」

     

    「"ただ子供らしいってだけなのかも"」

     

    「ローゼンハンはその結果に驚いた。偽患者たちはその場で入院させられ、精神病と診断された」

     

    「本物の患者は偽患者を見抜いたのに、医師は見抜けなかった」

     

    「精神科医のDSM-Ⅲバイブルは製薬会社の天の恵に」

     

    「1994年にDSM-Ⅳのタスクフォースを率いたアレン・フランシス教授は、のちに過ちを認める謝罪文を発表した。DSM-Ⅳ出版後の自閉症やADHDやうつの流行は、診断基準の変更によるもので、善意による一連の過ちの産物だと彼は告白している」

     

    「"もちろん、間違いだ。わたしたちは間違っていた。あれに関わったみんなが後味の悪い思いをしている。でも人生で後悔していることをずっと話さないでいるわけにもいかないからね。だからこうして話してるんだ。今すぐ終わりにできるかって?それはわからないな。薬を処方すべきでない何億人もの人に、薬を与えてきたんだ。それも、薄っぺらな根拠しかないのに、そうやってきた"」

     

    「1980年代のあいだに、アメリカ国立精神衛生研究所の年間予算は84パーセント増加して、4億8400万ドルにまでなった。精神疾患の定義はますます広がり、DSMは版を重ねるごとに医療の王道として確立していった。それはすなわち、数百万のアメリカ人が毎年新たに投薬を受けるということだ。だが、ADDやADHDの診断を子供に広げたことで、DSMは一線を越え、タブーを破った」

     

    「がんよりも、心臓病よりも深刻で、だれもがかかる病気が発見された。それが"危険因子(リスク)"だ」

     

    「そのほかに、"軽度の病気(スペクトラム)"として診断することも"網を広げる"ひとつのやり方だ。たとえば、ブラックプールでウィリアムズ医師が診ている患者のような、少しだけ落ち込んでいて薬を処方して欲しがる人たちをうつに含めることもできる。"自閉症スペクトラム"は、人づきあいが苦手な子供から本物の深刻な自閉症患者まで、あらゆる人を含む病名だ」

     

    「"自閉症スペクトラム"は別の言葉でも言い表せる。"男性"だ。2014年、ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは男性の4割は自閉症スペクトラムに当たると推定した。人口の約半分を占める男性の40パーセントとは、ものすごい網の広げ方だ」

     

    「湾岸戦争を利用したバイエル」

     

    「ウェルネスは成功者の象徴に、生き残れなかったら自分の責任」

     

    「その薬は効いているか」

     

    「20世紀の経済格差は、21世紀には生物格差に」

     

    「大道芸人はよそ者というより起業家に見えはじめた。わたしたちはみな大道芸人になる必要がある」

     

    「あのカムデンの大道芸人はわたしのお手本だ」

     

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    3『世界史を変えた詐欺師たち』

    東谷暁=著

    (文藝春秋)

     

    「犯罪としての詐欺と、政策としての詐欺的なものとの境界は、実は極めて曖昧なものだ」

     

    「ケネス・レイ 史上最大の倒産エンロンの内幕」

     

    「"伝説の経営者"から"最悪の詐欺師"へ」

     

    「会計・法律事務所も加担」

     

    「暴露される政治との癒着」

     

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    4『3つの原理』

    ローレンス・トーブ=著

    (ダイヤモンド社)

    セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす

     

    「一九七五年、北ヴェトナムの共産軍がサイゴン(現ホーチミン)を占領した翌日、私は東京の自宅で、それを報じた新聞を読んでいた。すると、ある考えがぱっと閃いた。"すでに北側の労働者カーストの共和国は、革命を経て樹立されている。古代のヒンドゥー神話が予言していたとおり、労働者カーストが商人カーストの世界を乗っ取りつつあるのだ"」

     

    「それが突然、サイゴン陥落の記事を目にしたとたん、古いヒンドゥー哲学は真実だと気づいたのだった。あれは神話であると同時に事実でもあったのだ」

     

    「時代を支配する社会階層は何か--"カースト・モデル"」

     

    「起こっているのは、階級闘争ではなくカースト闘争だ」

     

    「求道者、戦士、商人、そして労働者」

     

    「時代飛ばし」

     

    「二十一世紀初頭の世界で、トップの座に就くのは儒教圏ブロック、第二位は欧州ブロック、第三位が北極圏ブロックだと紹介した。儒教圏の一位については、さほどの驚きはないだろう」

     

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  • 8 アジア・歴史・未来予測 11冊

     

    5『人生の旋律』

    神田昌典=著

    (講談社)

    死の直前、老賢人は何を教えたのか?

     

    「トウタがボクに宛てた最後の手紙には、この朴上等兵との体験が書かれ、そして次の言葉で締めくくられていた。"朝鮮の方々の日本人、日本国に対する感情、呪いの心は、けっこうこの点にあると思います。この貴重なレッスンは、当時の朝鮮人義勇兵の教官をやって、寝食をともにし、連日助け合ったからこそ分かるのです。彼らの心情を理解しなければ、恨みを生むのです。これが私の遺言です"」

     

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    6『100歳の台湾人革命家・史明 自伝』

    史明=著

    (講談社)

    理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい

     

    「日本で生活基盤が整い始めたとはいえ、俺の心には一抹の虚しさと悔しさがじんわり広がっていった。台湾独立を目指す革命家が、なぜこうやって毎日汗まみれになりながら、朝から晩まで小麦粉をこねたり餃子を揚げたりしなきゃなんないんだってね。だから俺は厨房へ立つたびに"これも革命なんだ!"と無理やり自分に言い聞かせて、麺棒で生地を延ばすたびに力を込めて"革命!""革命!"と叫びながらオノレを鼓舞していたんだよ。おかしいだろう?」

     

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    7『中国人と日本人』

    邱永漢=著

    (中央公論新社)

     

    「日本人にはわからない"亡国の民"の哲学」

     

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    8『日本人のための憲法原論』

    小室直樹=著

    (集英社インターナショナル)

     

    「"戦争屋"チャーチルだけがヒトラーの野望を見抜いた」

     

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    9『人間狩り

    グレゴワール・シャマユー=著

    (明石書店)

    狩猟権力の歴史と哲学 

     

    「ニムロド、あるいは狩人の主権」

     

    「狩人と牧人という二つの役割を比較することの重要性は、聖書の二つの教訓話にある教育的役割以上のものだ」

     

    「ヘブライの伝統から始まる権力の主題化をめぐる長い歴史のなかで、実際に向かい合う二つの項が存在する。すなわち、アブラハムとニムロド、司牧権力と狩猟権力である」

     

    「伝染病にかかった羊と狼男」

     

    「追放された者が受ける刑罰としての追放は、三重のものである。すなわち、共同体からの追放、合法性からの追放、安全からの追放である」

     

    「主人による奴隷を獲得するための狩り、暴君の主権による捕獲するための狩り、司牧権力による追放するための狩りがある。近代の黎明期には、このようにして定義された狩猟権力の三つの形象が存在した」

     

    「先住民狩り」

     

    「一世紀以上後にダーウィンがサンタフェ〔アメリカのニューメキシコ州の州都〕に滞在したとき、現地長官のお気に入りの活動が"現地住民を追い回すこと"であり、"少し以前に四八人を殺し、その子供たちを売り飛ばした"のを目撃したのであった。人間狩りが、このように大規模でおこなわれ、大量虐殺に至るまでになったのは、おそらく初めてであった」

     

    「黒人狩り」

     

    「あらゆる協力の政治がそうであるように、支配地域のリーダーを腐敗させること--それができなければ服従させること--がその戦略だった」

     

    「犠牲者を非難することである。侵略者や加害者にとって最も古くからあるおなじみのやり口だ。あいつらが悪い、というわけである。犠牲者は襲われたのではなく、そうされるように仕向けたことになってしまう。自分に加えられた暴力、それは実際のところ犠牲者自らが招いたものとされる。最悪の場合、こんな風になすがままになったという事実自体--実際は、犠牲者に選択の余地がないことはほとんど問題にはならない--が、ある意味、犠牲者がそういった境遇にふさわしいことを十分に裏付けることになる。ヴォルテールが奴隷売買について文章を書いたときに依拠したのは、まさにこの論法だった」

      

    「狩る者と狩られる者の弁証法」

     

    「一五世紀、ゴメス・イネス・デ・ズララは『ギニア年代記』において、アフリカ沿岸のとある村におけるポルトガル人の襲撃を語っている。"ポルトガル人は"サンティアゴ!聖ジョルジュ!ポルトガル万歳!"と叫びながら、人々に襲いかかり、命を奪い、ありったけ多くの人間たちを捕らえた。そのとき母は子を捨て、夫は妻を捨て、一目散に逃げようとしている姿が目に入ったはずだ。そこでは、ある者は海で溺れ、ある者は小屋に避難した。またある者は危険から遠ざけることを願って子供たちを海草の下に隠した"」

     

    「被食者になるという経験は、それぞれが自分の命と引き換えに、身内から切り離され、孤立した個人になることだ。次に、囚われの身に置かれると、絶対的な無力感を味わう。この経験を通じて、恐怖の情景が、主人の全能性の証拠として各々に内面化されるのである」

     

    「奴隷制を支える権力の最も狡猾なやり口の一つは、かつて不幸にも逃亡奴隷狩りに苦しんだことのある元奴隷仲間に委任することだった」

     

    「主人は、この欲求の操作をするにあたって"どんな鞭よりも強い力"を用いた。このように、奴隷たちの逃亡願望に対して、主人は奴隷制度内での一種の内部昇進に彼らを誘導することで応じたのである。おまえたちは、もはや我々の奴隷ではなく、狩りの従者なのだ、というわけである」

     

    「実際には、狩りをする際の前提には獲物へのある種の感情移入がある。ここが重要である。効果的に狩りをするには、被食者の立場に身を置く必要があるのだ。さて、この精神的操作では、前提として狩る者と狩られる者という関係が主人と奴隷のあいだに再確立しようとする距離、絶対的に埋まることのない階層状の距離が否定されている。それゆえ黒人が他の黒人に対して使用されたのである。これは、彼らが自身の"同類"を他の誰よりも理解できるという人種的な想定に由来していたが、同時に、"仲間"をよりよく理解しているだけでなく、主人たちが奴隷との過剰な触れ合いを避けるためでもあった」

     

    「主人と奴隷の弁証法では、意識の関係は根本的に一対一の構造になっているのに対して、狩りの場合主人は被食者にほとんど直接向き合わない。雇われハンターや猟犬といった仲介者を使用するのである。二項対立というよりはむしろ三項関係の図式である」

     

    「つまり主人は、死に向き合おうとするのではなく、むしろ他人の命を賭け、自分は高みの見物を決め込もうとするのである」

     

    「狩人が嫌うのは、何の苦もなく手に入る獲物である」

     

    「"植民地化により、植民者は非文明化し、文字通りの意味において野獣と化し、堕落し、眠っていた本能が目覚める"」

     

    「追跡者たちの反応を予測できるようになるためには、狩られる人間は捕食者の目を使って自分の行動の読み解きを身につけなければならない」

     

    「この慎重さはまず、無力感を引き起こすような偏執的な不安というかたちで現れる」

     

    「それ自体を危険な存在とし、なおかつ最高に貴族的な魅力をも与える人間狩りの特徴とは、狩る/狩られる関係性が逆転してしまう可能性がつねにあることだ。つまり、被食者が捕食者になり、狩られる側が狩る側に回る可能性だ。人間狩りは、このような根本的な不安定さによって特徴づけられている」

     

    「ここでは、知は主人たちの特権というわけではない。被食者が狩る側に、策を練って指揮する側に回るのである。さらに、この立場の逆転は、人間狩りを主題とする物語における古典的なモチーフであり、人間狩りを主題とする映画すべての脚本の原動力でもある」

     

    「復讐は模倣なのだ」

     

    「ある種の悲劇的な術策により、復讐は、それ自体に充足する一方で、復讐に夢中になっている人間にしっぺ返しを食らわせることに向かう。復讐は、それに夢中になっている人を、意図せずに自分が戦っている相手の正確な写し鏡にしてしまうからである」

     

    「これは、政治的弁証法としての狩る者と狩られる者の弁証法が有する根源的な問題である。たんに捕食する/される関係をひっくり返すことにとらわれるのではなく、どうすれば狩りそのものを乗り超えられるかという問題なのだ」

     

    「彼らの関係性の構造ではなく、配役だけが変わるこの種の非弁証法的逆転は、長いあいだ、革命的な政治に関する思想において根本的な危険の一つとみなされてきた。革命が大規模な人間狩りのかたちをとることがあり、その際にはまず革命に敵対する人々に対して、次に革命支持者に対して、自分たちが歯向かった相手に対する捕食関係を反復したことは、おそらく狩猟権力に対する究極的な復讐だった」

     

    「社会革命の理論家にとって、この危険を回避することは、復讐のロジックから政治的暴力の問題を根源的なかたちで抽出することを意味していた。すでにバクーニンが総括のかたちで次のように書いている。"政治的虐殺は一度も徒党を殺すには至らなかった。特権階級に対してとりわけ無力であることが露呈した。特権階級の権力は、人間そのものにあるのではなく、多くの場合、特権を受ける人々に現実が与える立場にあるのだから"。正しく理解された政治的暴力は、個人ではなく地位に向けられるものである。地位こそが、現実の個人のありようを決めるのだ。重要なのは、捕食関係を逆転することではなく、それらを破壊することなのだ」

     

    「貧民狩り」

     

    「警察による狩り」

     

    「警察の活動というのは、あらゆる狩りのなかでいちばん興奮させてくれる究極の狩り、つまり人間狩りなのよ」

     

    「警察犬の導入によって、警察官の役割を都市の狩人に近づけるまでになった」

     

    「一九世紀には、警察官は人間を狩る者として描かれていた」

     

    「警察とは狩りの機関であり、国家による狩猟の手先であり、追跡し、逮捕し、投獄する役割を担っているのである」

     

    「そういったわけで、狩猟権力としての警察は法的な主体ではなく、運動中の身体と関わる」

     

    「それゆえ、現代映画の物語のなかの演出によく見られるような、警察による狩りの要求と法の原則とのあいだの二律背反が生じる」

     

    「つまり、視線は、身体なき主体と主体なき身体にそれぞれ向けられるのである」

     

    「警察官は、自ら追跡する身体とのあいだに動物的な序列関係を維持する。しかもその関係は、その身体が抱く情動に至るまで維持されるのだ」

     

    「"我々は狩人なのです。あの連中とは違います。あの連中とは兵士のことですが"」

     

    「バルザックは言う。"警察の人間は、狩人と感情の全てを共にしている"と」

     

    「マクシム・デュ・カンは言う。"この職業に情熱を傾ける者がいる。このことは理解できる。人間狩りは、それを実践した者によると、あらゆる快楽のなかで最も心揺さぶるものだというのだから"と」

     

    「警察による狩りがもつ小さな秘密、それは警察官がそこから得る悦びである。それゆえ重大な緊張関係や矛盾が生じる」

     

    「犯罪者と狩り出すためには、犯罪者を知悉するだけでなく、犯罪者と一体化して、犯罪者の環境に溶け込み、犯罪者のしきたり、言葉遣い、身なり、態度を取り入れなければならなかった。取り違えられるようになるまで、犯罪者に似せるのである」

     

    「彼は警察局長になる前は徒刑囚だった」

     

    「"この優れた技術、真の警察官はそれを完全に所有するべきである。さらに現代のプロテウス〔ギリシャ神話で海の老人と呼ばれ、あらゆるものに変身する能力をもつ〕たる警察官、いかがわしい店や悪名高いもぐりの賭場に出入りする"」

     

    「ここで導入されるカテゴリーは、公敵ナンバー1というものである」

     

    「狩りをする群れとリンチ」

     

    「外国人狩り」

     

    「ユダヤ人狩り」

     

    「不法者狩り」

     

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    10『匪賊の社会史』

    エリック・ホブズボーム=著

    (筑摩書房)

     

     

    「だからまず、貴族強盗の"イメージ"から検討することにしよう」

     

    「それは次の九点に要約できよう」

     

    「(1) 貴族強盗が無法者としての経歴を開始するのは、犯罪を犯したことによってではなく、不正の犠牲者としてである。または、民衆は慣習上、犯罪だとは考えないが、当局が犯罪とみなすある行為の故に、当局から迫害されることを通じてである」

     

    「(2) 彼は"不正を正す"」

     

    「(3) 彼は"富める者から取って貧しい者に与える"」

     

    「(4) 彼は"自己防衛か正当な復讐のばあい以外、殺さない"」

     

    「(5) もし生き残れば、名誉ある市民および地域社会のメンバーとして民衆のもとへ戻る」

     

    「(6) 彼は民衆によって賞賛され、援助され、支持される」

     

    「(7) 彼は例外なしに死ぬ、それも裏切りのために。地域社会のまともな成員なら、彼に敵対して当局に手を貸すものはいないからである」

     

    「(8) 彼らは--少なくとも理論の上では-

    -眼に見えず不死身である」

     

    「(9) 彼は正義の源である王や皇帝の敵ではない。ただ地方の地主、聖職者、その他の抑圧者の敵であるだけなのだ」

     

    「"暴力の子供たち"の第二世代においては、事態はもっと悪化する。自分たちの家庭が灰燼に帰し、父親が屍となるのを見、母親と姉妹が犯されるのを経験したあげくに無法者の生活に入ったからである」

     

    「一番心に焼きつけられているものは?」

    「家が焼けるのをみたこと」

    「一番辛かったことは?」

    「山の中で母と幼い弟たちが飢えて泣いたこと」

    「負傷したことは?」

    「五回、すべて銃で撃たれたもの」

    「一番望んでいることは?」

    「そっとしておいてもらうこと。そしたら働く。読むことを学びたい」

    「だが奴らがやりたいことは私を殺すことだ。奴らは私を生かしちゃおけぬと思っている

     

    「他の誰にもまして生国コロンビアの暴力団を知悉しているジャーマン・グズマン氏は、こうした無政府状態の生んだ子供たち--何物かを失ってしまい、好んで人を殺すところの--について次のように述べている」

     

    「彼らにとって第一に、農民の生活にあってはあれほど本質的に結びついているところの人間と土地が、互いに切り離されてしまった」

     

    「第二に、彼らは錨としての農場に対する感覚、つまり、そこから平安が生まれてくる、ある場所を愛すること、安全と永続の感情、を失っている」

     

    「第三に、こうした根無し草の生活は、社会の敵である若い人たちを一時的で、当てにならぬ、不安定な環境にひき入れてしまう」

     

    「第四に、彼らは農民生活を統合する一要素としての踏み馴れた路の感覚を失っている」

     

    「こうした環境のもとでは、確固たるイデオロギーと規律があるばあいにのみ、狼にまで堕落するのを防ぐことができる。しかし、その双方とも農村叛乱者の特質をなすものではない。匪賊活動の病理的倒錯に言及しなければならぬとはいえ、暴力と残虐さの最も永続的で特徴的な点は、復讐と分かち難く結合していることである。つまり、個人的屈辱に対する復讐のみでなく、また他人を抑圧した人間に対する復讐と」

     

    「人びとが匪賊となる所では、残虐は残虐を育て、血は血をよぶのだ」

     

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    11『呪われた部分 』

    ジョルジュ・バタイユ=著

    (筑摩書房)

    有用性の限界

     

    「失墜という感情」

     

    「何の役にも立たないものは、価値のない卑しいものとみなされる。しかしわたしたちに役立つものとは、手段にすぎないものだ。有用性は獲得にかかわる--製品の増大か、製品を製造する手段の増大にかかわるのである。有用性は、非生産的な浪費に対立する。人間が功利主義の道徳を認める限りにおいて、天は天のうちだけで閉じていると言わざるをえない。こうした人間は詩を知らないし、栄誉を知らない。こうした人間から見ると太陽は、カロリー源にすぎないのだ」

     

    「自己の贈与において再び見いだされた栄誉」

     

    「わたしが選んだこのナナワツィンの供儀の神話は、宇宙の誕生にかかわる多数の儀礼に似ている。この神話では太陽の光暈から、人間の生が熱望する栄光を作り出すが、人間は死ぬことでしかこの栄光を手にすることはできないのである。瘡もちの神(腫れ物の神)ナナワツィンは、大地の貪欲から免れて、炎のうちに自分を捧げた。猛火の中に飛び込んだのである。太陽に劣らぬ自己の浪費である」

     

    「メキシコにおける人間の供儀」

     

    「アステカ帝国は、栄光と供儀から過剰を作り出した。他の民族はそれほど恐ろしくない道を選んだのだが、このメキシコの道は、他の民族の選んだ道よりも多くのことを教えてくれる。わたしたちのうちには栄光への意志がある。この意志は、わたしたちが太陽のように生きること、わたしたちの財と生を浪費しながら生きることを求めているのである」

     

    「……神を体現する犠牲者は、神官の黒曜石の刀の犠牲となった。激しい一刺しで、まだ脈打っている心臓をとり出し、これを太陽に献じた。生け贄の多くは戦争の俘虜だった。そこから太陽の若返りのためには戦争が必要であり、戦争をやめると、太陽は光を失うのではないかという考え方が生まれたのである」

     

    「この供儀でもっとも感動的なところは、若く、非のうちどころのない美しい若者を、"復活祭の頃に"犠牲にすることである。儀礼の一年前に、戦の俘虜のうちから選びだされる。俘虜は、選ばれてからは、王侯のように暮らしていた」

     

    「ところが神の化身となった犠牲者だけは、神のように人々に囲まれて神のごとくに犠牲の台に登り、人々は生け贄が死ぬまで、この若者を見守るのである」

     

    「アステカ族は、犠牲になって死ぬ者には、独特な姿勢を示している。俘虜たちを人間的に遇して、俘虜が求める食べ物と飲み物を与えるのである。戦争で俘虜を連れて戻り、これを生け贄に捧げたある戦士は、俘虜を"息子として扱い、俘虜は戦士を父親とみなしていた"。生け贄となる者たちは、自分を殺させる者たちとともに踊り、歌った。俘虜たちの苦悩を慰めようとすることも多かった」

     

    「戦士と戦士の死」

     

    「この儀礼で意外なのは、これが"自己の贈与"の喜劇であるということだ」

     

    「アステカ族は、戦争と供儀のこの結びつきをよく理解していた。産婆は生まれてきた赤子の臍の緒を切りながら、次のように語りかける」

     

    「"からだの真ん中にある臍の緒を切りますよ。お前が生まれたこの家は、お前がとどまる場所ではないことをよく弁えなさい……。お前が首を落とすところが、お前の揺籠なのです……。お前のほんとうの祖国は別のところにあります。お前は別の場所に赴く定めなのです。お前は戦闘の場のために生まれついたのです。お前は戦闘のために遣わされました。お前の業、お前の技倆、それは戦です。お前のつとめは、太陽が飲めるように、敵の血を捧げること、大地が呑みこめるように、敵の身体を捧げることです。お前の祖国、お前の財産、お前の幸福は、天の太陽の宮殿のもとにあります……"」

     

    「戦争と燔祭は、習俗、真なる自己の贈与、儀礼のパロディと厳密な関係で結ばれている。演劇で、最後の幕の"戦の場"で山場が訪れるように、俘虜にされた戦士は、この供儀の山場で犠牲になると言えるだろう」

     

    「もしも戦士が勝利して戻るのではなく、戦で倒れたならば、戦の場での死が、俘虜を犠牲にする儀礼と同じ意味をもつことになる。戦士は自分の身体で、貪欲な神々に食べ物を奉じることになるのである」

     

    「商人の奢侈な浪費」

     

    「まず"利益を追求する人間"の社会は、栄誉ある行動に対立するものだった。ブルジョワジーは、有用性に基づいて判断するために、栄誉を滑稽なものと考えた」

     

    「ブルジョワ経済は、さまざまな形で告発されているが、その告発の根拠はいつも、労働が不当に搾取されているということだった」

     

    「アステカ族とアステカ族の慣習について検討するうちに、これについて新しい着想がひらめいた。すべての人間はいつの日か、有用な行動そのものには、いかなる価値もないこと、栄誉ある行動だけが生に光輝をもたらしてくれること、栄誉ある行動だけが人間の生に<値打>を与えられることを理解しなければならないだろう。ブルジョワジーは、実業を発展させるためには、この<値打>を貶めねばならなかったのである」

     

    「人間の活動の"目的"としての栄誉」

     

    「……獲得は、手にいれたものを失うことを"目的"としている。喪失について、功利主義的な説明をするのは、余計なことだろう。喪失が生という意味をもっていること、閉じた富裕化のシステムが不毛なものとなったときには、喪失が豊穣なものとなることが多いのはたしかだ。しかしこの喪失による豊穣さは、それ自体が"目的"ではない。この喪失によって、新たな喪失が可能となることに、この喪失の根拠を、"目的"をみいだすべきなのだ。人間の生は、星辰の輝きのようなものとして生きられる。根底においては人間の生は、この光輝のほかに目的をもたない。その栄誉にこそ、究極の意味があるのだ」

     

    「ポトラッチ、空虚な栄誉の経済」

     

    「古代的な交換の形式では、浪費が生産よりも上位に置かれていることが、はっきりと示されている。古典的な経済学では、原初的な交換は物々交換という形をとると考えられてきた。しかし経済の起源において、交換のような取得方式は、獲得の要求に応じるのではなく、反対に喪失し、破砕する要求に応じたものだった。このことを古典的な経済学にはどうしても考えることができなかったのである。この古典的な経済学の概念が崩壊したのは、ごく最近になってからのことである」

     

    「すでに説明したように、メキシコの商人は見返りというもののない贈与を実行してきた。この慣行や宴の習慣だけがとくに重要なのではない。もっと重要な営みと関連させて考えるべきなのである」

     

    「ポトラッチは、交易と同じように、富を循環させる手段であるが、駆け引きは行われない。これは首長が競争相手に、巨大な富を厳かに贈与するという形で行われることが多い。この贈与は、相手に屈辱を感じさせ、挑戦し、債務を負わせることを目的としている。贈与された者は、この屈辱を晴らし、挑戦に応じざるをえない。贈物をうけとったために生まれた債務を返済する必要があるのである。これに応じるためには、少し遅れて、最初のものよりもさらに気前のよい新たなポトラッチを実行するしか方法はない。いわば高利をつけて、債務を返済しなければならないのである」

     

    「ポトラッチの形式は贈与だけではない。自分の富を厳かに破壊することで、相手に挑戦する場合もある。富の破壊は原則として、贈与をうける側の神話的な祖先に捧げられるという形をとる。供儀とほとんど違いはないのである」

     

    「このポトラッチのテーマについては、交換の起源が物々交換ではなく、利子つきの貸与であると言われている」

     

    「ポトラッチのもつ意味は、喪失という栄誉がもたらす効果にある。この営みから、貴族の身分、名誉、階層構造における地位が生まれる。もっとも多く贈与する者に、栄光が与えられるのである。これで生まれる利益は、最終的には貪欲の大きさで計算できる」

     

    「現在でも理想とされるのは、相手が応じることのできないポトラッチを行うことだろう。儀礼におけるある種の破壊には、どう応じればよいかわからないのである」

     

    「祝祭の経済」

     

    「財産があれば、人は日々の生活に事欠くことはないと言われる。たしかにいつの時代にも、富があれば不運な日々に苦労しなくてもすむものだ。しかしかつて富は、権力を獲得することであったが、その権力は喪失する権力だったのである。過去の時代の大衆にとって、財産は栄誉ある者、至高の存在、浪費によって失う必要性のもとに置かれた<高さ>と結びつけられていたのである」

     

    「産業社会となる以前の文明では、富者は祝祭の費用を払わされていた。もっとも有力な者は、突然の浪費にそなえて、予備の富を蓄えていたのである。人々の労働が富を創出し、富める者がこの富を浪費する。共同体はこの富のすべてを、栄誉ある形で一挙に浪費する--過剰さへの欲求の外に、いかなる欲求も満たさずに」

     

    「名誉ある身分の者がこのような義務に従うという風習は、祝祭の意味のうちで理解できる。富という語に、この<名誉の高さ>という意味が、まだ木霊のように共鳴している。これらすべての行動は、いまでは魅力のないものかもしれない。しかし黄金は、輝くという単純な性質から、富と輝きを結びつける。黄金は、貪欲な者が一人でこっそりと満足するために輝くのではない。黄金の所有者は自分一人でその輝きを享受するかもしれないが、この輝きは多数者のために光を放つべきなのである。カエサルが催し、祝った祝祭は、カエサルの権力の意味そのものだった。皇帝から発散される幸福が、群衆の熱意を生んだのである」

     

    「祝祭の原則に反して、祝祭が私的に催されるようになると、この富の自然な輝きも薄れてしまう。壁の背後でこっそりと隠れて催される祭は、富の輝きを横領する。人々はこの私的な祝祭には無力になってしまう。富が孤独に享受される場合があまりに多くなると、貧しい者たちは財産を呪うようになる。この呪いは、富の輝きそのものに影をさし、これを破壊するまでにいたることがある」

     

    「かつて祝祭は、惨めな多数者に開かれたものだった。祝祭によって社会的な秩序が転倒し、奴隷が主人であり、主人が奴隷に奉仕することもあったのである。祝祭には富という意味があった」

     

    「戦争における"献身"と利害」

     

    「自分の生を浪費する貪欲さをもって生まれた人の数は、想像力の貧しい人々が思うよりも多い。そしてこの浪費が決定的な役割を果たすのは明らかである。結局は、自分たちの権利を守ることに汲々としているブルジョワジーの法則に従って、世界を組織できると考えるのは、虚栄にすぎない。生は絶えず新たに生まれ変わる。世界を新しくする生の力は、春の流れのようなものである」

     

    「費消と栄誉の一致の法則」

     

    「このように自己の贈与と費消は、一定の条件のもとで生まれる。最初の法則は、"一致の法則"と呼べるだろう。これは次のように表現できる。貪婪さが同時に満たされることで、費消が容易になる。逆に費消によって、利益の獲得、すなわち貪婪さを満たすことが容易になる。この一致の法則を、等価な支払いが行われる経済的な交換の法則と混同してはならない」

     

    「もっとも重要な費消と代えられる対価物は、計算には従わない」

     

    「また他方では、贈与が利益の獲得を容易にする。リスクなしには征服はできない。血や汗を流さずに、獲得することはできない。多くの人々がこのことを語り、反復している。しかしこの種の命題は逆転できるものだ。獲得しようとせずに、リスクを冒すことはできない。費消のために使える余剰が存在する。費消がつねに優位にあることが、社会的な生活を支配しているのであり、それぞれの人の運命を変えるのである」

     

    「武器を手にした多様な闘いが、自己の贈与と気前よさに力を与える」

     

    「力のゲームは人間の生に輝きを与え、栄誉あるものとする。征服という意味では、自己の贈与に至高の位置を与える。征服そのものも、死の栄誉ある暈のうちに置かれている。これは聖なるものであり、征服を聖なるものにしたのは、生者というよりも死者である。死者は自己の生を贈与することで、征服を聖なるものにしたからである。死者は、力と富を増大させただけではない。死者の犠牲によって、生の全体が死の高みに高められた。法外な浪費の過剰という模範的な行為を行ったのである」

     

    「恐怖と栄光、冬の死と春の死」

     

    「死は完全な費消である」

     

    「しかし人間が死を選ぶのは、さらに勝ち誇るためである」

     

    「戦士たちは過剰な喪失を経験しなければ、なにも獲得できない」

     

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